離婚について振り返る【前編】~離婚を決意した理由と別れるための準備~

夫によるモラハラ・パワハラや子どもへの虐待行為が原因で私が離婚を決意し、それを成立させたのは2012年の夏頃。

あれから10年以上の月日が流れました。

その間、子ども達のメンタルや経済状況など、様々な変化がありました。

離婚を選択した事は、結果として良かったのか?

それとも……?

私のケースを綴ります。

離婚を迷っている方

モラハラや暴力行為を受けている方

離婚後の生活が不安な方

そんな人に読んでいただけたらと思います。



離婚前の状況

元夫は、もともと自己中心的な傾向がある人でしたが、歳を重ねるにつれてそれがどんどん顕著になり、独裁的な行動が増えていきました。

独立開業し設立した会社がなまじ上手くいったことも、それを助長する原因のひとつになったように思います。

 

『全て自分が正しい』

 

彼の主張はいつも、その一点張りでした。

 

私は会社の役員として、また経営している店舗のマネージャーとして、同じ経営仲間でもある元夫と一緒に働いていましたが、彼はいつも自分のやりたくない仕事を全部私に押し付けてきました。

トラブルが起きると責任を擦り付けてきます。

気に入らないことがあればすぐにキレて、執拗な嫌がらせや無視、長時間拘束し罵倒し続けるなど、毎日モラハラ・パワハラの嵐でした。

正論で反論をしたところで事実は捻じ曲げられ、更なる報復をされるだけ。

例えば…

「今夜は夜勤の勤務者を休ませることにしたから、おまえが夜勤もやれ」

とか。

仕事上の立場を乱用し、無茶苦茶なパワハラをしてきます。

もしそれを拒否すれば、もっとひどい目に合わされます。

 

彼のこういった行為は家と職場で区切られることはなく、公私混同で365日行われていました。

私はもう反論する気力もなくなって、気付けば家でも職場でも「柳に風」のごとく、逆らわず受け流す対処法でやり過ごすようになっていました。

 

だけど…

子どもの事となると話は別。

見過ごすことはできませんでした。

 

次第に夫は、「学校以外の外出を禁止する」など、子ども達にも理不尽な自分ルールを押し付け始めます。

気に障る事があれば嫌がらせや人格を否定するような暴言を浴びせ、さらなる行動制限や暴力を振るうようになります。

それはモラハラ同様、歳を重ねるにつれて少しずつエスカレートしていきました。

特に要領の悪い長男が集中的に攻撃の的となることが多くなっていきました。

『躾のためだ』

と彼は言いますが、感情のままに暴力を振るい子どもを支配しようとする様は、もはや虐待行為以外のなにものでもありませんでした。

見るに堪えない夫の横暴なやり方に私は何度も抗議をしました。

子どもが被害に遭うたびに、やめてとお願いしました。

しかし彼は、全く自分の考えを変えようとしません。

そのうち彼は、私が見ていない隙に子どもに暴力を振るうようになります。

子どもからの訴えでそのことを知りました。

口止めもしていたそうです。

本当に最低な人です…。

周りからの見られ方を重視しており、外面上は普通の人を装うのが上手だった夫。

下手に誰かにこの状況を話そうものなら、彼は間違いなく報復をしてくるでしょう。

自分のやっていることが正しいということを主張するために、ますます暴力などが酷くなるのは容易に想像出来ました。

そのため誰かに相談したり、助けを求める事もできませんでした。

父親からの制裁に怯え、人格否定の暴言に傷つく子ども達をどうにかしてあげたいのに、根本的な解決策が見つからず、辛い日々が続きました。

決断のきっかけ

ある時、当時小学5年生だった長男が出かける準備にもたついたのが気に障ったらしく、いつもの調子で長男を責め立て罵倒し始める夫。

「馬鹿」「グズ」「使えない奴」etc…

そんなに責めなくてもいいでしょ?と私が制止しようとすると

『こんな奴には、なにしたっていいんだよ!』

そう言って長男を力いっぱいに殴り飛ばしました。

 

彼の考え方がはっきりと言語化された瞬間でした。

 

夫は家族に対して何をしても許されると思っている。

 

声を押し殺して泣いている長男を慰めながら、

『もう無理だな』

と思いました。

 

離婚をするしかない。

この日の出来事が、そう決意する決定打となります。

離婚準備

気持ちが固まり、すぐに離婚に向けて動き出しました。

もうじき子ども達は夏休みに入るので、そのタイミングで別居することをまずは目標にしました。

 

離婚を考えていることがもしも夫に気付かれたら最後。

証拠など踏むつぶし、嘘八百の責任転嫁で自分は悪くない!を通すでしょう。

そうならないために、あくまでも水面下で準備を進めようと思いました。

 

まずは息子の殴られてできた傷を写真に撮り、証拠を押さえました。

その後も虐待行為と思われることは全て手帳に記録していきました。

罵倒し続ける音声も、隙を見てスマホの録音機能を使い録音しておきました。

正当な条件下で離婚を成立させられるよう、証拠集めを粛々と実行しつつ、ネットで離婚に関する情報を収集してこれからの戦いに備えました。

MEMO
日記や写真、録音データの他に、通院履歴やメール等のやりとり、公的機関への相談履歴なども、虐待やモラハラの有効な証拠になります。

財産分与もしっかり請求できるよう資産状況の把握も進めておきました。

その一方で、これまで頼ることを控えていた実家に現状を打ち明け、いったん出戻るための根回しもしておきました。

学校で長男の様子がおかしいと心配してくれていたクラスの担任の先生にも事の次第を打ち明けて、転校を予定してる旨お伝えしました。

当時、長男は精神的に参っていることが学校生活でも表面化してきて、度々問題行動を起こすようになっていたのでした。

親身になって話を聞いてくれた当時の先生には、今でも感謝しています。

 

長くなりますので、この話の続きは【後編】で。

続きはこちら👇離婚について振り返る【後編】~バレてしまった離婚計画…嫌がらせを乗り越えて~

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