前回に引き続き、自分の離婚経験について振り返る記事となっております。
前編はこちら👇離婚について振り返る【前編】~離婚を決意した理由と別れるための準備~
離婚を決意し水面下で準備を進めていたのですが、ある日、計画がバレてしまいます…。
バレてしまった離婚計画
準備は順調に進められていたかのようでしたが…
ある日、パソコンで離婚のことを調べていたことが履歴から見られてしまい、夫に詰め寄られます。
(うかつだった…)
もう言うしかないと覚悟を決め、
「離婚をしたいと思ってる」
「子ども達も私も、もう限界です」
と伝えました。
それに対し、夫は動揺する気持ちを払しょくするためか、いつも以上に物凄い勢いで人の事を罵倒し始めます。
「お前が〇〇だから悪い」
とか
「長男が〇〇だから悪い」
とか。
しかしその内容はとってつけたような言いがかりでしかなく、実際私たちに非がないことは明らかでした。
私は夫にキレられることには慣れていたので、それくらいでは動じません。
相手のペースに流されず冷静を保つよう心掛けながら淡々と、彼の行動の問題点と、何度言ってもそれが改善されなかったことについて話し、
「ひとまず実家に帰ります」
「離婚原因の証拠もしっかり保管しています」
そう伝えました。
夫は徹底して自分の非を認めることなく、私の言い分を否定し続けましたが、最終的には
「離婚したいならそうしたらいいよ」
と言い放ち、こうして離婚計画は夫に容認されたのでした。
しかし、そこからが大変でした。
子どもが夏休みに入り別居するまでまだ数日あったのですが、それまでは仕事も通常通りこなして引継もしなければならず、住む場所も一緒なので、夫からのパワハラ、モラハラから逃れるすべはなく…。
子どもの事を守りながら自分の職務を果たしつつ、執拗に嫌がらせを受け続けた数日は、本当に地獄にいる気分でした。
でも、絶対に屈しない。
子ども達を守る。
その一心で耐え続け、ようやく家を出る日を迎えます。
子ども二人を連れ、積めるだけの荷物を詰めこんで、300kmほど距離のある実家へと車を走らせました。
「やっと抜け出せた…」
この先の事を心配するよりも、安堵の気持ちが大きかったです。
こうして晴れて別居生活がスタートしたのでした。
別居生活から離婚に至るまで
無事実家に戻った後は、やっと息をつく事ができたという感じでした。
予定通り夏休み中に子ども達の転校や転園手続きを済ませ、新たな生活が始まりました。
夫とは電話やメールで今後どうするかのやりとりをしていきました。
離婚するのかしないのか
するなら慰謝料や財産分与はどうするのか
度々キレる夫とは例え電話であろうとも関わりたくないのが本音でしたが、正当な財産分与や慰謝料、養育費を獲得しなければと思い、屈することなく最後まで話し合いを続けました。
時間をかけて話し合うことにしていたので、離婚が成立するまでの間に私は就職に役立ちそうな資格取得に動き出します。
実際に取得した資格の話はこちら👇【事務職に転職】離婚後の再就職で役立った資格と制度を紹介します
万が一「心を入れ替えるからやり直そう」という話が出てきたら思いとどまろうかとも思いましたが、そういったそぶりを見せることはありませんでした。
彼は、
『俺は悪くないことがわかれば戻ってきたらいい』
というスタンスを最後まで崩しませんでした。
復縁はあり得ないな…
と、心底思いました。
幸いなことに、夫の両親は私の話を聞き入れてくれて、どちらかというと私の味方についてくれました。
集めていた証拠もしっかり役に立ちました。
お陰で最終的には両親を含む周りの目を気にする夫が過失を認め、慰謝料や財産分与など、ある程度正当と思われる額に合意してもらえました。
こうして無事に離婚が成立したのは、別居から1年近く経過した頃でした。
とは言え、最後まで一度として謝ることはしなかった夫。
長きにわたる夫との話し合いは、話が通じな過ぎてストレスだらけでした。
しかし無事に別れることができた時の達成感は大きかったです。
今後の事に全く不安がないと言えば嘘になりますが、夫の呪縛から解放されて平和な生活を手に入れた喜びが大きく、清々しい気持ちで母子家庭生活をスタートさせたのでした。
離婚後の状況
離婚成立と同時に再就職を済ませ、実家を出て家賃が格安の集合住宅へと引っ越し、晴れて子ども達との3人生活をスタートさせました。
出だしは上々です。
しかし、長男がこれまでに散々元夫から受けた精神的ダメージは深く、離れればすぐに回復するという単純なものではありませんでした。
転校してすぐ、長男は度々学校でトラブルを起こすようになります。
学校から電話がかかってきて謝罪することもしばしば…。
私もしんどかったけど、長男はもっと辛い状況だったと思います。
私は出来得る限り精一杯のフォローをすることを固く決意します。
長い時間をかけて子ども達のメンタルの回復に努めました。
その甲斐あって、長男はその後しっかり立ち直り、本来の明るさを取り戻すことができました。
当時の子育てに関する話👇【離婚後の子どもの心のケア】今だから言える子育ての苦労と、乗り越えるための取り組み
また、私自身は仕事も順調にステップアップしていき、収入も決して多くは有りませんが、それなりに安定した生活を送れるようになりました。
株式投資も勉強して本業との2本柱で稼ぎ、住居を購入することも達成できました。
人間関係にも恵まれ、優しい彼氏もできました。
最初こそ苦労が絶えませんでしたが、努力した成果は少しずつ実っていきます。
子ども達の成長、経済状況、周りとの関係性、全て順調に上向いていき、万時順風満帆な現在に至っています。
離婚を機に全ては右肩上がりで推移していきました。
前向きに取り組んできたこと、こつこつ努力してきたことが今に繋がっていると思います。
家族みんな仲良く暮らせているこの平和な日々を、幸せだなぁと噛みしめて過ごしています。
もし離婚していなかったら
もし離婚せずあの生活を続けていたら、間違いなく子ども達は精神を病み、取り返しのつかないことになっていたと思います。
そして私も、死ぬまで彼の支配下にいなければならなかったかと思うと…
ゾッとします😑
結論
そもそも何故あんな人と結婚してしまったのかというと…
彼は外面を取り繕い良く見せるのが非常に上手な人でした。
一緒になるまで見抜けなかったんですよね、悔しいことに。
今思えば、元夫は間違いなく自己愛性パーソナリティー障害だったと思います。
「自己愛性パーソナリティ障害」をもつ人は、賞賛や注目を強く求めるため、外では理想の自分を演じる一方で、絶えず身近な弱者を否定し、傷つけることで精神のバランスをとろうとしますが、このことは、モラルハラスメントの加害者の特徴と重なる部分が多くあります。
私の場合、やはり逃げることが最善の方法だった思います。
何を言っても暴力をやめてくれない夫と我慢して暮らし続けるよりも、ひとり親になって自分が稼ぎ、子育てをする方が断然ストレスがなかったです。
人の性格や考え方を他人が変えようとするのは容易ではありません。
それに比べたら、自分が変わるのは自分次第。
気持ちと努力次第でいくらでも変わる事ができるし、成長できます。
声を大にして言います。
離婚してよかった。
覚悟を持って挑めば、道は開けると思います。
りん
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
時には「逃げることも大事」という話でした。
決断を迷われている方の参考になれば幸いです。
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